ゆるゆる、生きる。

私たちが日ごろ思っていること。

時には独り言レベルですが(;'∀')

 

楽しい読み物を目指します。

是非、楽しんでくださいね♪

恋する私たち〜鳥も魚もみんな恋してるんですって〜                             2018/9/30


 

ずいぶん涼しくなった・・・と感じるのも束の間、朝夕の寒さに時の流れの速さを感じます。

猫たちの悩ましい鳴き声が聞えた夜はもう遠ざかりましたが、早朝の空をスクランブルするように楽しげに二羽ずつ飛んでいるのを見たりすると、動物にも恋する気持ちがあるのかもなぁ、なんてぼんやり考えたりして。

 

そう言えば狼は一生同じ相手と添い遂げるのだと聞いたことがあるし(私なんてバツイチですもの・・・)、鳥にもそう言った話はあるらしいです。いやいやそれどころか魚にも。そんなことを書いてある、20年以上も前の月刊誌を部屋の中から発掘しました。

 

 

 

マインド・サイエンスの総合誌と銘打っている「imago」(青土社)、どうやらもうとっくに廃刊になっている模様ですが、様々な角度から心理学的なアプローチをしているので、今読むのも面白いんです。

確かに難しい文面もあるけど、解りやすい例えもあるし、知名度の高い『その筋』の方達の対談や、マニアな論文、時にはコミックからの引用や、様々な嗜好の方の書かれるコラムなど、今手にとってもとても心惹かれることが多いので、結構な数を捨てずにおいてあるのです(だから、片付かへんねん←言訳)。

 

 

 

その中で今回目に止まったのは、「動物心理学入門」と言う特集。な、なんですと!!動物心理!実は、あまり読まずに積んでおいたもので、外は若干くたびれているものの中は新しい。ぱらぱらと読むと言うより眺めた程度だったんです。ところが、片付けをするために手に取ったはずなのに、ご多分に漏れず、まず目次を見てしまう私。

 

 

 

  「性的不一致と一夫多妻の閾値」   (N.B.デイヴィーズ著 粟津俊二訳)

 

 

 

 おおっ!こ、これはっ!と思われた御仁、これは鳥についての研究でございます。そして、一夫多妻のみならず、一妻多夫、乱婚、そして単婚も(オシドリ夫婦の例えもありますが)。ただ、複数回の結婚つうのはなくって(そりゃそうか)、離婚、再婚とか復縁とか。まあ、そりゃ誰の話?って感じですね。

 

 

 

 鳥の種により、様々な結婚(配偶)形態があり、要は子孫を残すと言う観点からの結婚であるから、できるだけ子孫を有効に残すには、と言う視野が中心です。で、私などは思うのです、子供を成した後の夫婦はどうなるんや?

 熟年離婚かはたまた・・・。

 いや、いかんいかん。つい擬人的に見てしまって(;'∀')。

 

 

 

 このほか、ペンギンやマウンテンゴリラ、コウウチョウ(スズメ科の鳥)、カニ、アリ・・・と確かに生態学と言うより心理学やなあ、と言う内容がずらり。面白そう、ちゃんと勉強しとくんやったなぁ。

 

 でも今やから面白いのかもしれない、とも思いますけど。

 

 

 

 コウウチョウのメスは海馬がオスより大きい、と言うことは(短期的)記憶力がよいと言うこと。で、オスに托卵(卵を預けて温めてもらう)をして共同で子育てをする。

 ペンギンで同じ様な生態をテレビで見たことがありますが、なかなか感動的な場面がありましたよ。

 ちゃんと見分けがつくんですね、パートナーの。間違えずにたどり着ける。すごいですねぇ(嫌味ではないですよ~)。

 

 そして、巣を持たない鳥は、相手を見失わないためにそばを離れないとも書いてある(どの文にだか忘れたが)!

 方やで帰巣本能と言う言い方もするしね。

 

 かつて高校時代に、そういう小難しい話をよくする友人と、「人間らしいって言うけど、美しい愛のあり方はむしろ動物だと思う。そういう意味で動物的に生きたい。」などと話したことを思い出していました。いやその想い、今も変わらず、ですけれど。

 

 

 

 まあ、人間だって動物ですから、食べもすれば排泄だってするし、生殖活動も行なう。

 

 高度な知的能力や更に高度な感情も持ち合わせておりますが、それ故に苦しむことも多い。

 

 ジレンマに苦しみ、トラウマを引きずり、それでも誰かを愛して今日も生きている私たち。でも、人として生きると言うことは、結婚や誰かと生きると言うことは、すぐに子供を持つと言うことでもない。

 

 誰かと生きる人生、って言葉では綺麗なんだけど、そこにはたくさんの摩擦や軋轢もある。もちろんそれ以上に、やさしく柔らかな時間や、落ち着いた空間と言うものを持てるからこそ、人類は今も「自分の半分」を求めて生きているのだと思いますが。

 

 

 

 さて。

 

 この古い月刊誌に、動物とのアイコンタクトについての記述がありました。

 

 野良猫とうっかり目が合ってしまって、以来ずっと一緒に生活しているとか、そういう類の話。

 ペットショップでなかなか売れなくて(そのせいだかどうだかわかったもんじゃないけど)物悲しい目をしている猫を飼ってしまった友人がいたなあ・・・。

 

 目と言うのは不思議な器官だと思います。脳への情報の8割は視覚からだと言いますが、相手へのメッセージもたくさん発していると思うのです。

 

 

 

 目と目で語ると言ったりしますが、あたかも相手の脳波を感受してしまう気がすることだってあります。

 

  人間の複雑な脳は、そう言った活動もそなわっていたのだと思うけど、どうしてもはっきりとした答えのでるものを信頼しがちであることを、思ってしまったりもしますね。

 

 大体、見えているもの、聞えているものにしても、自分と自分以外の人では同じかどうか分からないのに・・・って子供の時は思っていましたが、要はこれこそが認知の問題。

 

 個々の脳の認知の仕方による、といってしまえばそれまでなんですが、でも明らかに何かを感じることってあるんですよね。恋する想いっていうのはまさにそんなことなんでしょう。

 

 

 

 魚や鳥の世界では、オスのアピール合戦によりメスを引きつけます、よりよい子孫繁栄のために。明らかに気に入って決めるんですよね、メスが。でもオスはどうなんだろう?このメスのために、と決めた相手に「俺を選んでくれぇ!」ってアピってるのかな?それとも誰でもええんやろか?とりあえず来てくれたのなら?う〜〜〜ん。どないなんでしょうね?

 

 

 

 でもね、立派な巣を作って、周りにもちょっと仕掛けをして、メスの気を引いて油断させてゲットするある鳥のオスの行動をテレビで見たことがありますが、ちょっと人間ぽいなあ、と思ってしまいました。

 ー--いや、人間が動物らしくて愛らしいのかな?

 

 

 

 生物の進化と共に、また、人はその成長と共に、精神的・心理的にもどんどん発達を遂げますが、それはただ合理的になっていく、と言うことだけではないと思うのです。

 

 より高度な心の動きを伴いながら、完全では無い自分との葛藤を抱えて、人は人の中で生きていく。

 

 恋、と言う心の動きは、そんな私たちに贈られた素敵なエッセンスかもしれません。

 

 

 

 

*青土社「imago」 199512月号「特集 動物心理学入門」 を参考にさせていただきました。

 

 

(以前に発表したものを手直ししたものです。ご了承くださいね。)