横着ものの私。

古いデータを整理していたところ、

この季節の月を描いたうちの永久欠番・藤村友視の絵を発見。

(2011年11月11日、とあります、上の絵です)

 

彼女の想いを形に、と言ってもうかれこれ8年程になるのです。

空の上からも呆れているかもしれませんが…。

 

一つずつ、形にしていこうと思います。

 

そしていつか、

「こんな風にできるんだ」

「こんなやり方もあるんだ」

「こんな風に生きてもいいんだ」

ということを、見て(触れて)わかる形にしたい、と真摯に考えております。

それこそが、藤村友視の想いをつないでいくことにもなる、と信じてやみません。

 

そこで、少しだけ友視ちゃんの話を。

 

元々は、私のカウンセリングを受けてくださる「クライアント」さんでした。

繊細過ぎる感性と、周囲の追い付かない理解力で、生きにくくずっと自分探しをしていた時に、私と出逢ったのでした。

 

初めて顔を合わせた日に、贈ってくれた絵が点描で2色が混じりあう『邂逅(かいこう)』。

(ギャラリーの中にある、オレンジ色と紺色で構成されたもの)

彼女が私に持った印象(それまでは電話だけのお付き合いでした)だと言うんです。

 

驚きました。

私の好きな2色だけで構成されていたんですから。

 

以降、SOFTLYのロゴ、お誕生日のお祝い(誕生日を言うと「降りて」来るのだそうです)や、日ごろ描きためた空や月、それらにインスパイアされた心象画など。

届けていただきました。

 

実物もたくさん送っていただきましたが、家庭環境(絵に理解がないご家族がおられて、作品や画材を何度も廃棄されたのだとか…)もあり、web上での保存データしかないものもございます。

 

やがて、彼女は希少がんの一つに見舞われてしまい、以降のカウンセリングはweb動画で、という今の時世を先取りしたような形で。

 

そして、この世を去る数日前に届いたメッセージは、

「先生、お健やかにすごしくださいね。」

と言うものでした。

たまたま携帯を開いたときに、私のページが開いたので、すぐに送ってくれたというものでした。

今思うと、携帯の操作もままならなかったのではないか、と思います。

 

後日、お母さまから逝去の連絡をいただき、

最寄りの緩和ケア病棟で最期の日々を過ごされたこと、

その中で、13枚の絵を描かれて、病棟に飾ってもらったこと。

彼女から、私たちに感謝の想いと、自身の逝去報告をするように、と、お母さまに伝えられていたということ。

 

まだまだ、一緒にしたいことはありましたが、そして考えていたこともあったのですが、ひとの身体はいつか誰しもおいていかなければなりません。

 

彼女の残してくれた作品たちを、ようやく何とか整えて見ていただきたい、と思うようになりました。

 

 彼女のかけらたちを、このHPで公開していこうと思います。